Sokalianトリアージの不可解さ

Sokalian氏の「レトリック」で気になったことを一点。

問題はなぜそのことをことさらに「切り捨てる」という言い方をするかです。助かる可能性のある人を優先的に治療しなければどちらも死ぬわけです。いずれにせよ助けようのない人を後回しにすることをことさらに「切り捨てる」と表現することは、災害時医療の当事者に過剰な負担を追わせる発言ではないですか。

http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/20081124#c1227793176

ところでトリアージ全体最適の一例として、その定義をかつて彼はこのように説明した。

1.「絶対的に医療資源が不足しているところでは」という制約のもとで、
2.「犠牲者数を最小化する」という評価基準(合目的性)に基づいて

行動するための手法である。「最適」性の例としてきわめて明快であり…

さてこの定義と「トリアージは誰も切り捨てない」という一番上のレトリックはいまいち噛み合わない。説明しよう。


そもそも「助ける可能性のある人を優先的に治療しなければどちらも死ぬ」という状況の設定が非常に恣意的である。例えば


「患者A→患者B→患者Cという順序で診れば患者Aしか助からない(=患者Aは重態で非常に手がかかりそうな患者でありその間に患者B・患者Cは死ぬかもしれない)、患者B→患者C→患者Aという順序で診れば患者Bと患者Cは助かるかも知れないが、患者Aはまちがいなく死ぬ」という状況を考えてみよう。この時「犠牲者最小化」という合目的性に基づいて「患者Aを後回しにする選択肢を選べ」とするのが全体最適である。要するに「重態だが治療すれば助かるかもしれない患者であっても、彼を助けることで全体の犠牲者が増えるならば見捨てよ」を全体最適は論理的に含意する。というか全体最適の「シビア」な側面が露になる地点とは寧ろこういう状況においてだろう。


さて私はトリアージに関しては素人なので教えを請いたいのだが、トリアージとは「絶対に助からない患者は助からないので、助けられる患者だけを助ける」っていう「誰も見捨てない」技術なわけ?*1いやまあ、それならそれでいいんだけど、それって「全体最適」と何の関係もないじゃん。目の前の患者について、単に助けられるかどうかという観点を排して、「この患者を助けることで全体の犠牲者が最小になるかどうか」で助けるか否かを判断するのが全体最適なんでしょ?だから組織の合目的性に基づいて「見捨てられる人だって当然出て来る」わけだ。

「見捨ててませんよ、助けられる人は全員助けてますよ、死んだ人はそもそも絶対に助けようのなかった人たちだけです、それがトリアージなんです」っていう思考と、全体最適って整合性を保って、ちゃんと噛み合ってるのかね?「Sokalianこそ」全体最適ってちゃんと理解してる?。「いずれにせよ助けようのない人を後回しにする」とか、何今さら腰の引けたことを言っているのだろうか?いや、この人は覚悟がないし発言が本当に軽いねえ。


さて私が指摘したいのをまとめるとこういうことだ。


仮にトリアージがSokalian氏の指摘するようなものだとすれば、それは全体最適と無関係なので、トリアージ全体最適の例だと主張すること自体間違い。よって福耳氏は講義を間違いであったとしなければならない。

逆にトリアージがまさに全体最適の明快な一例であるなら「助けようのない人を後回しにするだけ」というのはどうしようもないおためごかし。

どちらにしてもSokalian氏のどうしようもない非論理性は明らかになりました。まあ脊髄反射であちこちで為にする批判を繰り広げていると話がむちゃくちゃになってしまうといういい例です。ほんとにお気の毒様。

(追記)
Sokalianのような人間を相手にする人間は最早ほとんどいないでしょうが、私は気づいたことがあればこれからも彼を槍玉に挙げて、彼の議論のデタラメな点をログに残していく所存です。仮に彼が勝手に「議論終結・自称勝利宣言」を行って全てのブログを削除したとしてもです(ま、全て魚拓に取られているので無駄ですが)。こういうキャラの末路を晒しあげること、それをインターネット上に残しておくことはいくばくかの意味があるでしょう。

*1:とすればこれはトートロジーなので「思考実験としては」何の面白みもないわけだが