自爆する人?

少なくとも、ここ最近のあなた達のブックマークコメント、何ですかあれは。HALTAN氏を罵倒し揶揄する記事が「優しさに満ちあふれている」とかそういうの。
不快を通り越して怖気をふるいます。明白な加害を善意と曲解するのは「迷妄の魂を救済するためにポアしてやった」というのにほとんど近い。そんなあなた方が「ホロコースト」を引き合いに出して経営学者に的はずれな非難など、どの面さげてできたものか。はっきり言ってナチスと同じ思考回路を持ってるのははあなた達ですよ。

いや、ナチスホロコーストに「心理的負担」を覚えていたらしいから、ナチス以下ですかね。オウムかアルカイダのレベルですね。

id:HALTAN氏への批判を「オウム」・「アルカイダ」に例えられたid:Sokalian氏。あれ?でもこの人前にこんなこと言ってトリアージホロコーストを絡めて論じることへの批判を述べてなかったっけ?

「論法の同型性」論法の危うさ

私の関心の中心は、トリアージホロコーストを関連づけて批判する論法の粗雑さにあった。

ホロコーストトリアージの共通点はどこにあるか?「資源の希少性」と「合理主義」しかないのである。ホロコーストトリアージを関連づけている人たちは、この2点だけの共通点だけの根拠しか持っていないのである。

しかし、「資源の希少性」を「合理主義」的に処理する問題は世の中にあまりにもありふれていて、この指摘にはほとんど意味がない。そんなことを言ってしまえば、企業内の人員配置計画も、我が家の家計も、すべて「ホロコースト」と同型の論理に支えられている、と言えてしまう。「丸い」というだけの共通点を例にとって、「月」と「スッポン」を同列に並べるようなものだ。その指摘が意味を持つのは、位相幾何学の啓蒙書の中ぐらいだろう。

このような「共通点」を指摘する論法で一番重要なのは、「共通点」として問題の本質を衝いた要素を拾い上げることである。

このような論法が許容されるなら、あらゆるものを同列に並べることができるだろう。私が再三挙げてきた、「お前は人間である、ヒットラーも人間である、よってお前とヒットラーには共通点がある」という、侮辱以外に何の役にも立たない論法を使えばよいのだ。

さて問題です。HALTAN氏に対して批判する人たちと「オウム」・「アルカイダ」に関してですが。

(1)まずどのような共通点があるのでしょうか?
(2)仮に共通点があるとしてそれは「本質を衝いた要素」でしょうか?

id:Sokalian氏にはこれに答える責任があると思われます。まともな回答を期待します。