主張しただけで「普遍の真理」になる!

id:Sokalian氏のコメント。

仮に私の立場が矛盾していたとして、それでも構わない。私が今までに主張したことの意味自体が消えることはない。たとえば私が「2+2=4」と主張して、次に「2+3=4」と主張したとして、この両者は矛盾するわけで私は馬鹿だということになるが、しかし「2+2=4」が正しいことには何の変わりもないのだ。

私が矛盾したことを言えば、その論理自体が無意味になるとな。
即ち、「2+2=4」と主張したあとで「2+2=3」と主張すれば、この両者は矛盾しているから、「2+2=4」という主張が無意味になるということだな。私が「2+2=4」と主張する前に「2+2=5」と主張していてそれを批判された人は、私が「2+2=3」とその後主張したことで免責され、誤った主張をしなかったことになるのだな。
こういう場合、批判を受けるのは私という個人だけであって、「2+2=4」という真理は普遍かつ不変なのだと思っていたが、あなたにとってはそうではないということなのだな。
これは面白い。


この人本当に大丈夫でしょうか?Sokalian氏が「トリアージホロコーストを絡めて論じることは粗雑な論法である」と「主張した」のは事実ですが、それが「普遍の真理」にいつなったというのでしょうか?それが「2+2=4」と同レベルの真理とな!いや、すばらしい。ぜひとも数学的証明をお待ちしてますよ!つーかそんな証明が出来るんなら最初からやりなよ。自身のブログで延々と議論し続ける必要ないじゃん。

自爆する人?

少なくとも、ここ最近のあなた達のブックマークコメント、何ですかあれは。HALTAN氏を罵倒し揶揄する記事が「優しさに満ちあふれている」とかそういうの。
不快を通り越して怖気をふるいます。明白な加害を善意と曲解するのは「迷妄の魂を救済するためにポアしてやった」というのにほとんど近い。そんなあなた方が「ホロコースト」を引き合いに出して経営学者に的はずれな非難など、どの面さげてできたものか。はっきり言ってナチスと同じ思考回路を持ってるのははあなた達ですよ。

いや、ナチスホロコーストに「心理的負担」を覚えていたらしいから、ナチス以下ですかね。オウムかアルカイダのレベルですね。

id:HALTAN氏への批判を「オウム」・「アルカイダ」に例えられたid:Sokalian氏。あれ?でもこの人前にこんなこと言ってトリアージホロコーストを絡めて論じることへの批判を述べてなかったっけ?

「論法の同型性」論法の危うさ

私の関心の中心は、トリアージホロコーストを関連づけて批判する論法の粗雑さにあった。

ホロコーストトリアージの共通点はどこにあるか?「資源の希少性」と「合理主義」しかないのである。ホロコーストトリアージを関連づけている人たちは、この2点だけの共通点だけの根拠しか持っていないのである。

しかし、「資源の希少性」を「合理主義」的に処理する問題は世の中にあまりにもありふれていて、この指摘にはほとんど意味がない。そんなことを言ってしまえば、企業内の人員配置計画も、我が家の家計も、すべて「ホロコースト」と同型の論理に支えられている、と言えてしまう。「丸い」というだけの共通点を例にとって、「月」と「スッポン」を同列に並べるようなものだ。その指摘が意味を持つのは、位相幾何学の啓蒙書の中ぐらいだろう。

このような「共通点」を指摘する論法で一番重要なのは、「共通点」として問題の本質を衝いた要素を拾い上げることである。

このような論法が許容されるなら、あらゆるものを同列に並べることができるだろう。私が再三挙げてきた、「お前は人間である、ヒットラーも人間である、よってお前とヒットラーには共通点がある」という、侮辱以外に何の役にも立たない論法を使えばよいのだ。

さて問題です。HALTAN氏に対して批判する人たちと「オウム」・「アルカイダ」に関してですが。

(1)まずどのような共通点があるのでしょうか?
(2)仮に共通点があるとしてそれは「本質を衝いた要素」でしょうか?

id:Sokalian氏にはこれに答える責任があると思われます。まともな回答を期待します。

事実と真理って違うよ

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080822/1219377408

>だって、(今回の場合は)そうしなかったら結婚できないんだぜ?

id:guri_2さんは「成年の婚姻については両親の同意が必要」という国に住まわれているようですね。日本国とはだいぶ違うお国柄とお見受けしましたが…

>相手がそういうのを望むんだったら、そのルールでやるしかなくて。

何でその相手の前提で闘うことが真理になっているんでしょうか?id:hokusyuさんの名言をもじらせていただくと

「相手のルールで戦わなければいけない」っていうのが、彼の中で事実(Wirklichkeit)を通り越して真理(Wahrheit)にまで達しちゃってる人っていますよねっていう話


ですね。というかそもそも「親の覚えめでたきように振舞うこと・絶対服従がこの世の現実だ」というのは本当なんでしょうか?私には親と仲が悪いカップルなんて一山いくらで溢れてると思えますけど(=「事実」ですらないのでは?ということです)。自分が自由に振舞えなかった屈折を抱えていて、それで他人に八つ当たりしているようにも見えるんですが。

勝利宣言された!

sirokaze氏というネット右翼の方と南京事件について議論していたらついにギブアップされたみたい。

http://srsa.jugem.jp/?eid=506

議論は単純。

南京事件FAQの中の「「20万都市で30万虐殺は不可能」論は欺瞞」という項があって、これは要するに「確実に20万であるということの根拠がなく、最大の見積もりで民間人のみ50万くらい存在していたという説もある」から「人口論だけでは30万虐殺が不可能であるとは言えない」という話なわけです。正確な人口など確証されたことがないのに、あたかも「実際に・確実に20万都市であった」ということを事実であるかのように前提として「30万人殺すことは不可能」と主張しているんだから、これは明確にインチキ・嘘・欺瞞等まあどう表現しても正しい表現なわけです。

もちろん「仮に20万人しかいなければ30万人殺すことは出来ない」というのはトリビアルに真なわけです。そんなことに誰も欺瞞なんて言わない。でも否定派が主張しているのは「当時実際に20万人しかいなかったから」30万人は殺せない、という主張なわけでこれがインチキだという話なのです。

それを何度も何度も指摘して差し上げたのですが…挙句の果てには「おまえ(しまうま)が30万人以上確実にいたことの証明をしなければ俺の勝ちだ」とか喚く始末。「不可能だ」という議論を否定するには「可能性がある」ことを提示すればそれで十分なのに。まあ是が非でも自分の「宗教」は疑いたくないという、強烈な信仰をお持ちということなのでしょう。

(まとめ)
「正確な人口など分かっていない」のに「20万しかいなかった→30万人は殺せない」と主張する人は例外なくインチキ論者です。

(参考)
ちなみに南京事件当時民間人のみ50万人説の根拠を示しましょう。

南京事件が始まる1ヵ月半前(10月末)に日本の特務機関が作った資料にこうあります。

南京市内公務員と軍人の身内の者は皆南京を離れて外へ避難しているため、人口は激減した。警察庁の調査によると、現在住民人口は53万あまりで、全て各政府機関の公務員、財産の移動ができぬ人々など、南京に最後まで居残らなければならない人々である

要するに一ヵ月半前から危機感があって逃げられる人たちはとっくに逃げてしまっており、残りは居残らざるを得ない人だけの状態だったという話です。

で。さらにその一ヵ月後(11月末)にこんな資料があります。今度は中国側の政府の見解です。

「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である」

さらに一ヶ月間も猶予がありながらその間人口は全く減っていないということは、やはり日本の特務機関の見解「残っているのは逃げられない人たち」というのが正しかったという推測が成り立ちます。

さてこれ以降日本軍が南京市全体の包囲を始めるまで後数日間しかありません。逃げる手段はごく限られ(揚子江の輸送船は既に南京を離れてしまっていて残っているのは小型の民船ばかりで、それもチケットが高騰していて乗るのは困難を極めていたそうです)、さらに日本軍が南京への包囲網を狭めてくる中、近郊農村部から南京へ逃げてこざるを得なかった人たちもいたということを考えると、その後もそれほど人口全体は変わらなかったのではないかという推測は十分成り立ちます。

南京事件研究の第一人者笠原十九司氏は「最大で50万〜40万くらいいたのでは」と説明しています。さらに軍・兵士の数を合わせれば(30万人虐殺説は「民間人のみ」ではなく、「軍民合わせた」数字です)人口に関する数字だけで30万人虐殺説を「不可能」とすることは出来ません。逆に「可能性としてはありえますね」という話になります。

繰り返しますが「最大で50万人説」は推測・推定値ですのでこれが確実に正しいということではありません。あくまで史料が少なくて「正確な人口は分かっていない」のですから。ですが、「絶対に20万人しかいなかった』という人たちの根拠が全くないことも繰り返し強調しておきます。

追記(8.5)

結局sirokaze氏は逃げまくっているだけなんですよね。私は最初から最後までずっと「南京事件発生当時の人口の確実なところは分かっていないというのが歴史学界の通説なのに、根拠レスに20万と断定してそれを前提に30万人を殺すことは出来ないと言い張ることは欺瞞である」と言い続けてきました。繰り返しますが私の立場は「南京事件当時の人口は分からない(民間人だけで最大50万まで諸説ある)」です。

つまり「分からない」とされているところに「いや、20万しかいないことは確実だ」と言い出したのはsirokaze氏ら否定派なのですから、それを立証する責任は否定派にあります。史料に基づき20万人しかいなかった(20万以上はありえない)という証明をする責任が。もっとも歴史家が寄ってたかって出来ないものが、彼らに出来るとは到底思えないのですが。

ちなみに「20万」というのは南京市の南京城内にある安全区に集まったとされる難民の数であるのですが、(正確な数はともかく)安全区外にも残された市民・難民がいたことは多くの証言からほぼ確実であり、「20万しかいなかった」という説こそほとんどありえない説です。

さて。にもかかわらずsirokaze氏はいまだに私に「絶対に30万以上いたというならそれを立証しろ、そうでなければおれの勝ちだ」と吼えまくっています。要するに「自分の立証責任から逃れたいが為」に、私の主張・立場を歪曲してひたすら逃げ続けているわけです。

私は「可能性としては最大50万まである」と主張し、その可能性が成立する合理的な根拠を示しました(既述の通りです)。とすれば「絶対に20万人しかいなかった」とするsirokaze氏はその可能性が成立しないということ・不可能であることを立証しなければなりません。それが議論というものです。もちろん彼はそれをすることが出来ずに、「しまうまの議論では50万人が確実にいたとは言えない」などと見当違いの難癖をつけてまともな史料一つも提示しようとはしません。自覚的にやっているとしたら哀れですが、マジでやっているのならばかなりアレな人と言えます。

愛の無恥

例の愚にもつかない提案「愛のムチ条例できないか」について

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080618-OYT1T00628.htm?from=navr
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080619k0000m010136000c.html


そのまんま東は、昨年の児童虐待被害件数が過去最高を記録したこと、加害者の多くが「しつけの一環」・「厳しく叱っただけ」=「愛のムチ」と弁明しているという事実、を御存じないのか、知っててしらばっくれているのか…。これは要するに「愛」があれば(もちろん外から観察は出来ません)容認されるなら、事実上児童虐待は野放しにすべしという話にもなってしまうんですが、それで良いと仰るわけですね。

というか戦後最高レベルに「おとなしいイイ子ちゃん」である今の子供たちに「リンチ」を加えてまで何をそんなに解決したいんでしょうかね?

さて別の角度から見てみましょう。

10年前のものですが「国連子どもの権利委員会」は子どもの権利条約批准国のモニタリングの結果を公表しました。さて日本の評価はどうだったでしょうか。

http://www.itoh.org/io/kenri/kankoku.htm

(1)プラスの評価をされた点

数少ない+評価の中にはこのようなものがあります。

・学校での体罰に関して出された質問に対して日本が「拷問禁止条約の批准を「現在検討している」と言明したこと」

そのまんま東の思い付きが実現された暁には容赦ない国際社会からの非難が待っていることでしょう。(ちなみに日本は拷問禁止条約に1999年に加入しており、これと愛のムチ条例が整合性を持つかも問われるでしょう。というか明確に違反していると思われます。)

(2)マイナスの評価をされた点

数多くあるので詳細は上記リンク先をお読みください。ここでは今回の件に関連する点を幾つか紹介します。

・条約を支える考え方が、社会に十分に浸透していないこと。特に権利条約が国内法に優位し、裁判所で直接適用できるにもかかわらず、裁判所で直接適用されることがほとんどないこと、学校のカリキュラムに人権教育が体系的に取り入れられていないこと。


そのまんま東には「法学」という政治家としての基礎教育も、人権教育も足りないようです。誰か彼に愛のムチを振るってあげる人はいないのでしょうか。代わりに僕が殴ってあげてもいいですけど。


・子どもに関する政策を計画するためには、正確で詳細なデータが必要。しかし、ことに障害を持った子ども、施設に収容された子ども、民族的マイノリティの子どもなど、傷つきやすい立場に置かれた子どもたちに関するデータや、性的虐待を含む、家庭内での虐待などに関するデータが不十分であることが指摘


児童虐待が過去最高を記録していてさらに暗数も相当にあると推定されているにもかかわらず、そのまんまは何にも考えていないようです。戯言にのみ目を向けるのではなく、現実に目を向けてください。


・子どものプライバシーが、家庭でも、学校でも、施設でも守られていないこと。プライバシーの権利を保障するために、法的措置を含めた対応をするよう勧告。
・学校だけでなく、家庭や施設においても、体罰や虐待が行われていることが指摘、家庭や施設での体罰を禁止する法律を作り、子どもの人間の尊厳をそこなわないようなかたちで、しつけや規律の維持が行われるように、意識啓発キャンペーンを行うことが勧告。


学校での体罰・家庭内での虐待の禁止・防止策を講じることに関しては2004年の第2回勧告でも引き続き努力を求められています。「愛があればLove is O.K.」とか抜かして、全てをうっちゃろうとするそのまんまなナイーブさには呆れ果てます。


そのまんま東が後輩に暴行を働いたことは有名ですが、「いまだに」人を殴りたいんですね。宮崎県はリンチが正当化される県にしたいという欲望、あの事件での非難は不当だったという怨念のなせる言動でしょうか。

「大阪府解散!」

「改革の為に府民に痛みを強いる以上、公務員も自分達の身を切らなければ、納得されない」という某知事の主張について。

試しに、「大阪府解散!」とでも宣言してみたらどうだろうか。公務員は全員解雇。行政サービスは一切停止。教育も福祉も治安に関しても全部自己責任で。インフラの構築・維持管理は使用者によるコスト負担で。ちなみに債務の償還が終わるまでは徴税は行われる。

これこそが究極の財政赤字再建策である。「公務員は敵」で、「財政赤字は何よりもまず解消されるべき優先課題」と思い込んでいる人たちは、この案にもさぞかし諸手を挙げて賛成をしてくれるだろう。何しろ憎き敵と最大の課題が一掃されるのだから、その後には彼らにとっての「理想郷」が待ち受けているというわけだ。

ちなみに、これに近いような例が確か北海道の某自治体で起きており、そこでは住民の流出に歯止めがかからない状態だそうだ。公務員抜きでやっていける裕福な府民の方々にはぜひとも移住を勧めたい。ちなみに代わりにやってくるはずの気前のいい「民間」の参入もいまだないようだが、彼らはいつになったら来るのだろうか。

ところで。将来「そうなりたくない」から今改革しているのだ言われるかもしれない。なるほど。なるべくサービスは廉価で今まで通りに維持せよ・ただし給料は下げさせてもらう=要するに公務員への「しわ寄せ」によって、財政再建したいというわけだ。とすれば逆に公務員にお願いしなければならない立場なんでないの?府民の皆様方は。それとも公務員なんだから「汗をかくのは当然」・公僕なんだから「奉仕の精神で」というわけだろうか。

「公務員と住民が対立構造にある」という前提を何の疑いもなくナイーブに信じ込んでいる人たちには某知事がさぞかし正義の味方に見えているのだろう。僕にはそれが「サービスの対価」について一顧だにしない、極めて傲慢な態度に見えるのだが。